
ご飯を食べ終わるころ、噂を聞いたのか村人が次々に集まった。
畑仕事をしていた人、浜で薪を拾っていた人、
村から歩いてきた老婆たち。
午後は豪雨だった。

外にはバケツが2つ。
屋根から落ちる雨水を溜めて、洗い物に使うのだ。
かなりの降雨だったので、私も屋根の下に立ち、
頭を洗わせてもらった。すっきり、さっぱり。

捕えられた、カニ。
夕方になると数人の人がエビ池で竿を垂らしていた。
簡単な棒に、糸と餌が付いていつだけだけど、これで釣れる。
夕方になり、日も落ちかける頃、村人が村へ帰りはじめた。
そのとき、そばにいたおばあさんが、「気をつけて...」と言ったのだ。
耳を疑ったけど、確かにそう聞こえた。
数歩行ったあたりで振り返り、そのまま村へ帰っていった。
後で番頭に聞けば、戦争以来初めての日本人だということで
村からおばあさんたちも私たちを見に来たらしかった。
昔、覚えた日本語で、私たちに声をかけてくれたのかもしれない。
さて、この後、夜になってからが大変だった。
警察、村長さん、街の警察だ、なんだって、10名くらいの太った人たちが
夜のあぜ道をバイクでやってきた。
街へ行って、一杯やろう!! 村長はそればかり...
警察も一通り聴取して、私たちが街へは行かないことを言うと、
2時間程しゃべって帰って行った。
テントを張らせてもらい、眠りにつくと、なんと夜中の12:00頃、
大声とともにテントのチャックが開いた。
番頭は怒って、寝てるんだ!とチャックを降ろしたが、
向こうも引き下がらず、テントを揺する。
しょうがなくパスポートを持って外へ出て、1時間ほどで戻ってきた。
軍の人が2人、事情聴取にやってきたのだ。
何度も同じことを聞かれ、GPSの動作確認もされた。
どこからきたのか...こんな時間に...
そして、誰が通報するのか... そういう決まりなのか。
いつもそうだった。
村へ入って、村人の家で世話になると警察が来る。
家主が呼ぶのか?誰が呼ぶのか? 謎だ...
2/2 5:30 まだ暗いうちに出発。
だいたい毎朝、4:30にイスラム教の祈りのスピーカーが鳴り響く。
みな朝がはやいのか、こんな時間でも見送りにきてくれた人、5人。
出発準備をしていると、数十人に膨れていた。
海に出れば、今までで一番大きなうねりの中を進む。
左手から次々にうねりがやってくる。
はるか沖でブレイクしているのも見えていた。
あまり沖に出ても、あのブレイクに捕まって、最悪、沈した場合、
岸に戻るのにとても時間がかかってしまう。
陸側のビーチブレイクと、沖の大きなブレイクの中間を
右に左に時々現れるブレイクゾーンを避けながら、漕いでいた。
それまでは、目の前で崩れる時は止まってやり過ごし、
当たりそうな時は沖に船体を向けて、乗り越えた。
が、どうしても避けられないうねりがやってきた。
4時間半ほど漕いだところ...
ポイントブレイクではなく、左右に延びた大きなうねりだった。
波側に船体を傾け、波をかぶりながらブローチングした。
が、耐えてぇ~と数秒止った後、船はひっくり返り、
ハルはが水面に浮いていた。
すごく悔しかった。
2回目の沈。
流してしまったものは、雑巾だけだった。
泳ぎ、たどり着いた砂浜には村人が2人、何かを拾っていた。
この先に小屋があるという。
しかし、世話になり、また警察などの話になるのを避けるため、
断ったのだが、どうぞ、どうぞという。
村までは4kmほどあるそうなので、
海小屋で休ませてもらうことにした。

隠れ家のような、素敵な小屋。
とてもきれいにしてあり、まわりはエビの養殖池。
泥でできたあぜ道の両側には、
マングローブの苗木がまっすぐに並んで植えられていた。

KAMUS:辞書を片手に、コミュニケーション。
子供たちは辞書を見ると、「KAMUS! KAMUS! 」と言って笑う。

差し入れてくれた、カニ(クーピティン)のすり身。
殻ごと入っており、ココナッツと唐辛子が一緒にすり潰されている。
バナナの葉で包まれている。これ、絶品。
合わせて池からエビをとってきてくれた。

とってもシンプルだけど、最高に美味しかったな~
感謝の毎日なのでした...
※家主のYONOさんは写真に写っていません...

早朝、5:30出発。
快調にひとつ目の岬を越えた。
岬を越えてしばらく行けば、陸は泥ではなく、砂になっていた。
色は黒いが、砂浜だ!
これならどこでも上がれる...と嬉しいのもつかの間。
今日は朝から海風が吹いていた。
早めに吹き始め、9時頃にはだんだんと風が強くなっていた。
2つの岬を越える予定でいたが、
風波も出てきたため、12:00頃はやめに上陸した。
(泥陸の時は、岸近くまで行くと崩れ波はなくなり上がりやすかったが、
砂浜になると、浜へそのままブレイクしているため上がりにくかった。
この後、波が大きくなればなるほど、上陸が厳しくなった。)
この村は大きな道路のすぐ横にあった。
家々はいたってシンプルな作り。
壁は竹で編んで、粘土で隙間を埋めたものだった。
便利に物が手にはいるためか、ガスボンベもあり、
料理の燃料に木は使っていないようだった。
食料はあったため、買い出しも必要なかった。
日没まで時間がある時は、自分の手入れをする。
歯を磨いたり、体を拭いたり、爪を切ったり...
そうそう、この時私の顔の「皮」が完全脱皮目前でした。
特におでこは、パリッパリで一枚ぺろ~んと剥けた...

1月30日。今日は停滞する。
写真は泊まらせてもらったお家の、お父さん。
この船の頭です。そして、村で一番兄弟が多いのだとか。
午前中は船の仕事を見せてもらった。
日本と同じように、破れた網を直している。
船は木造で、みな思い思いの絵柄が船体に描かれていた。
イワシ、カニ、イカなどが取れると言う。
村の周りはフィッシュポンドになっており、
生け簀に魚を飼っている。
大雨が降ると、泥のあぜ道が決壊して魚が逃げてしまうため、
泊まり込みで見張ることもあるのだとか。
そのため、仮眠できるようにだろうか、生け簀の脇に小屋があるのが見えた。

ひつじの行列。
後ろの笠をかぶっている人が、この群れを追っている。
午後は街に買い物にでた。
買い物といってもたいしたものは買わず、パンと水くらいか。
ファースト沈の時に、ドライバッグごとサプリメントをすべて流していたので、
ここで簡単に補給できるビタミンCの粉末を購入。
水に溶かして飲めるやつだったので、1.5Lの水に、溶かして持ち歩いた。
街までは、バイクの後ろに荷台がくっついたような乗り物で運んでもらった。
路沿いには水田が広がり、たくさんの人が作業していた。
かぶっている帽子(笠)は沖縄のとすごく似ている。
畑人の笠はツバが大きく、日陰の範囲を大きくとっているのに比べ、
海人の笠はツバが狭く、シャープだ。風を受けにくくするためだろう。
今日は風を感じない日だった。とても穏やかだったため、
夕方思ったことは、今日漕いでいたなら...だった。
出発してから一番と言うくらい、朝から夕方まで静かな風だった。
沿岸の泥地帯はここまでだという。
ここから先は、砂浜だよ。というが、本当だろうか...
この村から2時間ほどいったところに岬があるはずだった。
明日は早朝に出発だ。

堤防に船を留めた。
私はうまいことよじ上った(んだと思う)が、
番頭は、川へ足を入れた結果が 写真↑ だ。
まずは子供が数人集まって来る。
一通り話が終わり、子供が飽きると大人が集まってくる。といった感じだ。
バイクで3人乗りは当たり前。
子供を真ん中に挟んで、私たちを見に来る人もいる。
「こんにちは」 と耳に入ってきた。
驚いた...日本語だ。
日本のマグロ船に乗っていたことがある。という人がいた。
気仙沼、高知、静岡。
中でも高知は、口調が怖かった!そうだ。
漁船がたくさん留まっていた。
雨期のこの時期は、風吹くし魚も少ないので、
あまり漁にでないらしいが、獲れる時期は街へ水揚げもするらしかった。

家においでと言ってくれ、甘えて世話になることにした。
案内してくれるあいだも、ずっとみんな一緒に歩く。
家の中に入っても、入れ替わり、立ち代わり人が顔を出すのだ。
